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「夜のカフェテラス」クレラー・ミュラー美術館所蔵















 

 

 


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 【ゴッホの人生の足跡を辿る旅】 2010年7月 
 オランダとフランスの、画家縁の地を訪ねた取材旅行に同行したスタッフのレポート
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炎の画家ゴッホ
生前はたった1枚しか絵が売れず、その優れた芸術性が評価されることのなかった孤高の画家フィンセント・ファン・ゴッホ。鮮やかな色彩と独特のタッチで、花、風景、人々を精力的に描き続けたゴッホは37歳という若さで、自らの手で生涯を閉じました。10年という短い画家人生の間に、油彩約900点、素描約1100点を制作。持てるエネルギーを全て捧げ情熱的に描いたことや、そのエキセントリックな行動から、しばしば「炎の画家」と呼ばれます。


「(帽子をかぶった)自画像」
ゴッホ美術館所蔵

  

オランダ時代
1853年3月30日、ゴッホはオランダ南部のズンデルトという町に、牧師の息子として生まれます。小さい頃から、激しい気性のため、家族を含め、他人との交流がうまくできず、壁にあたる毎日でした。1869年から美術商として成功していた伯父のつてでグーピル商会に勤め、熱心に働き、ロンドンやパリの支店に勤めるが、ロンドンでの失恋により失意。仕事への熱意を失い、商会を解雇されます。その後、牧師を目指し学校へ行き、貧しい人々の為に、自らも貧民のような身形で献身的に活動を行ったものの、生真面目に貧しい人のために尽くすあまりに、みすぼらしい有様が牧師らしくないとされ、1879年に伝道師の仮免許を剥奪されます。

子供の頃から絵を書くのが好きだったゴッホが画家を志したのは1880年、ゴッホ27歳のときのこと。画家初期の時代はオランダ南部の町ヌエネンに、当時牧師をしていた父や家族の住む牧師館の洗濯小屋をアトリエとして、近隣の風景などや織工や農民などを描いていました。この頃の傑作は1885年の「馬鈴薯を食べる人々」です。


「馬鈴薯を食べる人々」
ゴッホ美術館所蔵

パリ時代
同年父が逝去し、徐々に地元の人々と折り合いの悪くなっていたゴッホは、翌1886年オランダを飛び出し、当時パリのモンマルトルの画廊の支配人で、家族の中で唯一のゴッホ理解者だった弟のテオを頼りました。以降、ゴッホがオランダの地を踏むことはありません。パリの画家と親交のあったテオに、スーラー、シニャック、ドガ、モネ、ピラロら印象派の画家を紹介してもらいます。なかでもロートレックはゴッホのよき理解者でした。彼らの作品に衝撃を受けたゴッホは、以降、オランダ時代とは打って変わった明るく鮮やかな色彩を用いるようになります。

またゴッホがパリに滞在していた頃は、パリでジャポニズムが流行していた時期です。パリに来る途中、アントワープで出会い、そしてパリで本格的に浮世絵にのめりこむようになりました。400点にものぼると言われる収集した浮世絵を部屋に飾り、赤や緑といった独特の色彩や遠近法を身につけたのです。浮世絵を背景に描いたこの頃の傑作に「自画像」「タンブラン亭の女」「タンギー爺さん」などがあります。


「(画家としての)自画像」
ゴッホ美術館所蔵

南フランス時代
1888年2月、ゴッホは新境地を求めて南フランスのアルルへ。なぜだかゴッホは、日本の風景、日本の光がアルルにあると思っていました。ひまわり畑、葡萄畑、道端に咲くすみれやアイリス、美しい星空・・・などを見ては「アルルは日本のように麗しい」と書いています。南フランスの豊かな自然が生み出す色彩の饗宴に心酔し、ゴッホは意欲的に作品を制作しました。アルルに滞在した15ヶ月の間に、代表作「ひまわり」「夜のカフェテラス」、ゴーギャンと暮らした「黄色い家」「アルルのはね橋(ラングロア橋)」「ゴッホの寝室」「郵便配達夫ルーラン」「ルーラン夫人」「種をまく人」など、300点以上の作品が次々に製作されます。ゴッホが、まぶしいまでの「黄色」を見つけたのもこの頃でした。

同年10月にはパリで出会い意気投合したポール・ゴーギャンを招いて共同生活を始めます。ゴッホとゴーギャンは同じ題材を用いてそれぞれに作品を描いたりしました。芸術へのアプローチの違いやゴッホ自身の激しい気性から、ゴーギャンとの共同生活は9週間程度で破綻をきたします。心を病んだゴッホは自らの左の耳朶(じだ)を切り取り、娼婦の友人へ送りつけるという事件を起こし、アルルの精神病院に収容されます。

1889年、牧師サルの薦めに従い、サン・レミ・ド・プロヴァンスにある元修道院を改装した静かで簡素なサン・ポール・ド・モゾール病院に転院。鉄格子のはまった病室に暮らしながら、外に出ることを許されるとサン・レミの自然を眺め、「星月夜」「刈り取る人」「糸杉」「オリーブ林」といった作品を描きながら、1年程過ごします。この頃になるとゴッホの作品には、独特の≪うねり≫や≪よじれ≫が表れ、ゴッホのファンタジーが加わった、ミステリアスな風景が描かれるようになります。


ゴーギャン「ひまわりを描くゴッホ」
ゴッホ美術館所蔵

「アルルの跳ね橋(ラングロア橋)」
クレラー・ミュラー美術館所蔵

「種まく人」
ゴッホ美術館所蔵


「ひまわり」
ゴッホ美術館所蔵

「夜のカフェテラス」
クレラー・ミュラー美術館所蔵

「ルーラン夫人」
ゴッホ美術館所蔵
終焉の地、オーベール・シュル・オワーズ
病のため焦燥に駆られ、ひとつところに落ち着けないゴッホは、病状が収まるのを待ち、たくさんの作品を手にサン・レミを飛び出します。自らの死期を感じ、故郷オランダのある北へその心は向かったのでしょうか?1890年5月パリで弟テオとその妻子と再会を果たします。パリでは数日滞在し、知人に会った後、35キロ北西にある静かな田舎町オーベール・シュル・オワーズへ赴きます。ここで印象派の画家と親交の深い芸術好きなガシェ医師の指導を受け、療養生活を始めます。
ここでもゴッホは毎日休みなく取り付かれたように絵筆を取り、「カラスの群れ飛ぶ麦畑」「オーベールの教会」「ガシェ医師の肖像」など、70日間で60枚を超える油絵を製作します。
1890年7月27日、ゴッホは銃で自殺を図り、その傷が原因となり2日後に亡くなります。亡くなる前の晩には、ずっとゴッホの生活を支え、よき理解者であった弟テオがパリからかけつけ、兄弟で語り合ったと言われています。ヌエネンで画家になって10年、南仏のアルルに移り住み、次々と傑作を生み出すようになってからわずか2年半、37歳という若さで1890年7月29日、ゴッホはこの世を去りました。


ヌエネンのゴッホの住んでいた家

作品の特徴
ゴッホの作品は、初期のオランダ時代を除くと、印象派を起点としています。また日本の浮世絵に強い影響を受け、明快な色を使い、陰影を廃した独特の遠近法を用いました。
歴史の上では、後期印象派に分類されているゴッホですが、印象派の画家のタッチは、視覚混合を狙った細かなものであるのに対し、ゴッホのタッチは長く伸びたりうねったりと表現主義的。また印象派は自然主義を基本としますが、ゴッホの晩年の作品はしばしば象徴主義的と言われています。印象派が明るい戸外を描くのに対し、ゴッホは夜や憂鬱な人間、社会なども題材としました。強い輪郭線を用いて、画面を色で構成し、人物をデフォルメしたことなども、印象派とは異質の感があります。結局のところゴッホは、印象派や浮世絵の強い影響は受けながらも、自分にしか描けない独自の画法を追求し、非常にユニークな作品を残した画家と言えるでしょう。


「アーモンドの花」
ゴッホ美術館所蔵

  
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■世界最大のコレクションアムステルダムのゴッホ美術館
アムステルダムのミュージアム広場に、デ・スタイル派の巨匠リートフェルトが設計したモダンな外観を持つゴッホ美術館があります。ゴッホのよき理解者であり経済的な援助をしていた弟テオの遺族が管理していた作品を1つの美術館でまとめて一般に公開したいという希望を叶えるため、ゴッホ財団が設立され、1973年開館しました。

油彩200点、スケッチ550点あまりのゴッホ作品を所蔵。ゴッホの収集した浮世絵や書簡などもあり、世界最大のゴッホ・コレクションを誇ります。オランダ時代からパリ、アルル、サン・レミなどのフランス時代まで全ての時代が網羅されており、年代ごとにゴッホ作品の変遷を見て取ることが出来ます。またゴッホと親交のあったゴーギャンやロートレックなど同時代の画家の作品も展示しています。

ここで見られる代表作はオランダ時代の「農婦」、「馬鈴薯を食べる人々」や南仏時代の「ひまわり」、「ゴッホの寝室」、「黄色い家」、数点の「自画像」、「アイリス」、「アーモンドの花」、「カラスの群れ飛ぶ麦畑」など枚挙にいとまがありません。

所蔵作品の一部は特別展などへの貸し出しにより、見られない場合があります。
オランダで一番人気の美術館といっても良いほどで、世界中の旅行者が開館前から列を作ります。穴場は金曜日の夜の開館。通常、午後6時までの開館が午後10時までとなります。


「農婦」ゴッホ美術館所蔵

「寝室」ゴッホ美術館所蔵

ゴッホ美術館 南館(外観)

■ゴッホ愛好者の巡礼の地ゴッホの森とクレラー・ミュラー美術館
アムステルダムから東へ80kmのところに「国立公園デ・ホーヘ・フェルウェ」があります。ここの美しい森は、275点以上のゴッホ・コレクションを所蔵している「クレラー・ミュラー美術館」にちなんで、ゴッホの森と呼ばれることがあります。ゴッホの森は総面積5500ヘクタールに及ぶオランダ最大の自然保護区。オランダの名産のジン「ジュネバ」の原料でもあるネズやマツの林には、鹿や猪が顔を出し、沼地、湖など散策ルートには事欠きません。8月終わりから9月にかけてはヒースが、10月は黄金色に色づく木々が特に美しく公園を彩ります。園内の無料の白い自転車を利用して、1日のんびり過ごすのがお勧め。

クレラー・ミュラー美術館は、アムステルダムのゴッホ美術館と双璧をなす2大ゴッホ美術館です。275点以上のゴッホ作品のうち油彩が87点。初期のオランダ時代の「馬鈴薯を食べる人々」から、パリ時代の「(4本の)ひまわり」、南仏時代の「アルルの跳ね橋(ラングロア橋)」「糸杉」「夜のカフェテラス」「麦畑」「種をまく人」「郵便配達夫ルーラン」「ルーラン夫人」など負けず劣らず傑作揃い。
さらにピカソ、ブラック、モンドリアン、ルノアール、モネ、スラーなどの近代画家の質の高い作品も見られます。

また、この美術館の特筆すべき点は、環境の素晴らしさにあります。ゴッホ美術館と同じリートフェルト設計によるモダンな建物は、多くの樹木に囲まれ、静穏な空気が漂います。すりガラスから柔らかな天然光を取り入れた館内も人はまばらで、珠玉の作品をじっくりと鑑賞できます。野外に広がる25ヘクタールの彫刻庭園では、ロダン、バーバラ・ヘプワース、ヘンリー・ムーアらの作品を鑑賞しながら散策を楽しめます。同じ国立公園内の狩猟の館まで足を伸ばしたり、レストランでオランダ風パンケーキを食べたり・・・と森の中の静かな美術館での1日は忘れられない旅の思い出になるでしょう。1日足を伸ばしても、ぜひ行ってみたい美術館です。

所蔵作品の一部は特別展などへの貸し出しにより、見られない場合があります。
祝日以外の月曜が休館日になります。
美術館美術館への入館料には、国立公園の入場料も含まれます。
無料の白い自転車は国立公園の入り口、美術館前、公園のビジターズセンターなど主要なポイントに置いてあります。

ゴッホの森へのアクセスや宿泊施設、アクティビティなど詳しくはこちらをご覧下さい。


無料の白い自転車に乗って

クレラー・ミュラー美術館の彫刻庭園

無料の白い自転車に乗って

■ゴッホが生まれ育った町、ズンデルト
1853年、父テオドルスと母アンナの次男としてゴッホは誕生しました。カルヴァン派の伝道師だった父がオランダ南部のブレダ近郊の小さな町ズンデルトの教会に勤めていたため、12歳で寄宿学校に行くまでゴッホは、この町の牧師館に家族と一緒に住んでいました。ズンデルトには教会の礼拝堂、旧牧師館である生家(現在住居のため訪問不可)、フィンセント(ゴッホ)とテオの兄弟像を見ることができます。教会周辺の風景は、ゴッホの描いた絵と見比べてみると今もあまり変わっていないようです。ひっそりとした町で、幼少の頃から自然に強い興味をもっていたゴッホが遊んだと思われる林が残っています。

ゴッホの家

2008年ズンデルトの観光局兼ゴッホ生誕の地の情報センターとして「ゴッホの家」が誕生。館内では英語のオーディオガイドで、ズンデルトでのゴッホの生活などを知ることができるほか、ゴッホに影響を受けて制作された現代アーティストの作品を展示。ゴッホの足跡をたどる旅のルート案内や自転車ツアーなどの情報を提供しています。オーベルジュ・ファン・ゴッホというカフェもあり、ズンデルト散策の拠点となります。

アクセス:アムステルダム中央駅よりブレダ駅まで2時間。ブレダ駅前よりバス115番で35分。

■ヌエネン

ヌエネンはアイントホーヘン近郊にある町。画家を目指すことにしたゴッホが、初めて落ち着いて作品に取り掛かり、初期の傑作「馬鈴薯を食べる人々」を完成させた場所でもあります。旧市街には、ゴッホが住み、アトリエとしていた牧師館や父親が勤めていた教会、ゴッホ記念碑、ゴッホの名前のついた広場や通りのほか、ゴッホの書簡などを展示している資料館ファン・ゴッホ・ドキュメント・センターがあります。ゴッホが描いた風車や水車小屋などの風景を偲ぶことが出来ます。

アクセス: アムステルダム中央駅よりアイントホーヘン駅まで80分。
アイントホーヘン駅前よりバス121番で10分。


ヌエネンのゴッホ像

ヌエネンの教会
 


ヌエネンのゴッホ・ドキュメント・センター


「ヌエネンの牧師館」
ゴッホ美術館所蔵


オランダアート倶楽部 / 主催:オランダ政府観光局
www.holland.or.jp